マシュー・マクファディンを中心に : I Love, I Love, I Love You

イギリス人俳優マシュー・マクファディン(Matthew Macfadyen)周辺などに関する備忘録。
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イングランド〇〇り珍道中2018年9月Day7その2/「リッパー・ストリート」周辺ウォーク!(10 Sep/2018)

と、言うわけで(詳しくは「...その1/「リッパー・ストリート」周辺ウォークへの道」参照)
London Town Walksのイアン・ポーター(Ian Porter)さんのガイドで、
マシュー・マクファディンが主人公エドムンド・リードを演じた
BBC/AmazonUKドラマの「リッパー・ストリート(Ripper Street)」
周辺のあれこれに関するツアーがスタート。

※このあと出てくるイアンさんが説明してくださったことの記述について、
間違い等がありましたら私の英語力と記憶力がないせいです…。

集合場所=スタート地点は、ショーディッチ・ハイストリート駅
(Shoreditch High Street railway station)です。
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駅から南に向かい、高架をくぐって、まず、目に入るのが
壁に書かれたストリートアート。
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このあたりはこういった現代アートが盛んな地域になっているのは有名なようで、
有名な人も書いていたり何だったりとかいうお話をさせていたようですが、
個人的にあまり興味がなくて…(すみません)

そのままウィーラー・ストリート(Wheeler Street)を南下しつつ、
19世紀末のイーストエンドの状況、世界で一番人口が過密で貧しい人や
ホームレスで溢れかえっていたというような基本情報から説明してくださいました。

ベッドの有る雑魚寝状態の宿(doss-house)に泊まれるなら運がいい方、
シェルターで少額払って棺桶のような箱(four penny coffin)に入って寝るとか、
もっと少額で椅子にに座って(penny sit-up)寝るとか、それに追加料金払って
椅子の前にロープを渡して(two penny hangover)そこにもたれかかって寝るとか、
もちろん、それに対して支払うお金すら無いような人もいたわけで、というような。

なお、その他基本情報のひとつとして、角にドアが有るような建物は、
今はどうあれ、昔はみんなパブだったと思っていいですよ、とのこと。
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そういえば、「リッパー・ストリート」の劇中でも、
ブラウン・ベアはこういう形状でしたね(現在の本物のブラウン・ベアは違いますが)。



そうこうしているうちに、私も今まで何度か来ている
コマーシャル・ストリート(Commercial Street)にぶち当たりました。
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そこから少し南下し、オールド・スピタルフィールズ・マーケット(Old Spitalfields Market)を
右手に見つつ、ハンベリー・ストリート(Hanbury Street)を少し東に。
ここの通りも以前来たことがありましたが、改めて説明していただきます。

ハンベリー・ストリートに入ってすぐ右手にある建物、ウェズレー・コート(Wesley Court)。
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ここはかつてHanbury Hallと呼ばれていて、1888年にアニー・ベサント(Annie Besant)と
エリノア・マルクス・エイヴリング(Eleanor Marx Aveling)がマッチ女工ストに関する会合を開いた場所。
マッチ女工や労働者たちは能力的に組織だった行動を起こすことが難しかったが、
こういった中産階級出身の女性たちなどの後押しによって実現したとのこと。

なお、この建物は元々は1719年にユグノー派の教会として建てられ、
その後メソジスト派の教会となり、
ジョン・ウェスレーもここで聖職者をしていたとかなんとか青いプレートに書いてあります。

ここのすぐ近くにアニー・チャップマン(Annie Chapman)の殺人現場があったりで、
そういえば、またこのすぐ近く(オールド・トルーマン醸造所)にスタジオが有る
「リッパー・ストリート」のスコア担当のドミニク・シェラーさんは、
仕事が終わって外に出ると、ジャック・ザ・リッパーツアーの団体が
説明を受けているのを見かけたりするとインタビューでおっしゃっていたような。

今度はこれらのブロックの手前(西側)の道、ウィルクス・ストリート(Wilks Street)に入ります。

この道から東に伸びるプリンセレット・ストリート(Princelet Street)との角に、
18世紀のシルク織物デザイナー、アナ・マリア・ガースウェイト
(Anna Maria Garthwaite)が住んでいた家があり、
このあたりはまだこういった古い建物も残っていて、
中にはガラスも古い時代のものがそのまま使われているところもあるとのこと。
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古いガラスは技術的な問題で、表面がツルツルではなく、波打っているとか。
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確か、日本の明治期辺りの建築系の番組でもそういうのを聞いたことが有るような。

そのままウィルクス・ストリートを少し南下し、
右手(西)に伸びる狭い通り、ピューマ・コート(Puma Court)に入ったところにも古い建物があり、
右手(北側)に、かつて貧窮者向け住居(訳語「救貧院」、ただし"workhouse"とは全く別物)だった
ノートン・フォルゲート・アルムハウス(Norton Folgate Almshouses)があります。
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その向かい側にもなかなか趣のある建物がありました。
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その後、プリンセレット・ストリートに戻ってきて、
その右手にある、かなり年季の入った感じの建物(これも18世紀のものらしい)を
よく映画やドラマの撮影に使われる、と紹介してくださいました。
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「リッパー・ストリート」はダブリンが中心で、ロンドンでは撮影されていないけども、
もしロンドンで撮影されていたら、絶対ここも使われていたと思う、とイアンさん。

プリンセレット・ストリートを東に行くと、ここも以前来たことがある
ブリック・レーン(Brick Lane)に出るので、この道を少し南下します。

イアンさんによると、この通りは「ひどいカレー屋が数多く集まってるので有名な…」ってほんと?!
…日本のガイドブックとかには美味しいカレー屋が並ぶって書いてあるんですが?!

カレー屋が多いのは、バングラディシュ系の移民が多いからだったりするのですが、
ブリック・レーンとフォーニアー・ストリート(Fournier Street)の角あたりに、
ブリック・レーン・モスク(Brick Lane Mosque)があります。
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この建物は、1743年にユグノー派のキリスト教会として建設され、
1809年にメソジスト派のキリスト教会となり、
19世紀にはシナゴーグに姿を変え、1976年に今のモスクとなったそうで。
イーストエンドの住人の構成の変遷を物語っているようで大変興味深いです。
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フォーニアー・ストリート側にはモスクになるよりも前の名残があり、
こういったものを残したまま使用しているのもまた面白いと思いました。
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そのままフォーニアー・ストリートを進みます。
ここは18世紀頃から先程のモスクの建物を立てた、
ユグノー派のフランス系移民が多く住んでいたとのことで、
彼らは絹織物で生計を立てている人が多かったとのこと。

普通、冬に寒くなるので、お金がない人には窓が大きく、またたくさんある建物は
嫌われる傾向にあったそうですが、シルク職人には光が必要で、
また、このユグノー派フランス系移民は裕福で暖房を入れるお金も有ったため、
このあたりは窓が大きく、たくさんある家が多いとのこと。
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フォーニアー・ストリートでちなみにこんなのもあるよ、と見せてくれたのがこちら。
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道のこちら側はすべて奇数、反対側は偶数の番地、
という具合になっているので、通常であれば11の隣は13、その隣は15になるはずが、
13という数がとにかく嫌いだ!ということで11.5という番地になっているらしい
(もちろん、どこもこうだというわけではないはずですが)。

やはりフォーニアー・ストリートにはこんなものも。
※写真提供:同行者(水無月のえる)
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"Phoenix fire protection plate"と呼ばれるもので、
「フェニックス保険」という会社で火災保険をかけると支給されたものだそう。
昔の保険会社は消防隊を持っていて、保険をかけている家が火事になると消火活動をしたり、
また、他社の消防団も消火活動をすることがあり、その場合は、
その代金を加入している保険会社が支払うというシステムだったとか。

フォーニアー・ストリートがコマーシャル・ストリートとぶつかるところまで出てくると、
北側の角にザ・テン・ベルズ(The Ten Bells)というパブがあります。
※写真提供:同行者(水無月のえる)
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ここは「リッパー・ストリート」シーズン5第6話にその名前(と遺体)が出て来た
メアリー・ジェーン・ケリー(Mary Jane Kelly)が、
遺体発見の前日に飲んでいたということで有名だそうです。
また、アニー・チャップマンもここの客だったとかで、彼女らが客を取るのにも使われていたよう。
ちなみに、1976年から1988年まで「Jack the Ripper」という名前だったとのことで
あまりにも悪趣味…(だから元の名前に戻ったのでしょうか?)。

その向かい、南側の角にはクライスト・チャーチ・スピタルフィールズ(Christ Church Spitalfields)
という、よく目立つ教会があります。※2015年に来た際に撮影した写真
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夜は門が閉まっていて、シェルターなどにも寝るところを見つけられなかった人は道端で寝ていると、
警官に追い払われるため、夜は歩き回り、ここの門が開いてから、この中(庭)で眠ったとのこと。

字幕には反映されていないのですが、「リッパー・ストリート」シーズン1第1話でリードが
「娘(スーザンの娼館の娼婦)たちが夜、通りを歩かなくてすむのは…」、と、スーザンに言うのは、
道端で客を取る、という意味のほか、そのあたりの意味もあったのでしょうか?

コマーシャル・ストリートを少し南下し、
今やすっかりその名残もなくなった、メアリー・ジェーン・ケリーの自宅で殺害現場があった、
ドーセット・ストリート(Dorset Street)跡地を通り過ぎ、ホワイツ・ロウ(White's Row)を
ほんの少しだけ西に行ってすぐ南に伸びるトインビー・ストリート(Toynbee Street)を南下し、
一本目を右に入った、ブルーン・ストリート(Brune Street)に入りました。

この通りの右手には、1902年に貧しいユダヤ人のための炊き出し所
(Soup Kitchen for the Jewish Poor)だった建物があります。
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1902のほか、5662という数字がありますが、これはユダヤ暦とのこと。
左右のドアの上に「WAY OUT」と書かれていますが、真ん中の扉が入り口で、
建物の中は一方通行だった、ということのようです。

なお、1854年から1902年まで、つまり「リッパー・ストリート」の舞台になった年代には
H署本部の有った(今も)リーマン・ストリート(Leman Street)にあったとのことです。

ブルーン・ストリートを少し進むと、右手(北側)に
テンター・グラウンド(Tenter Ground)という道が伸びていて、
かつてはこの道は南にも伸びており、テンター・ストリート(Tenter Street)という名前でした。
「リッパー・ストリート」シーズン1、2でスーザンの娼館があるという設定の通りです。
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テンター・グラウンドを北に進むその左手(西側)には、昔倉庫だったという建物が残っています。
※写真提供:同行者(水無月のえる)
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倉庫などでの働き手には、身体が大きく、力の強いアイルランド系の労働者が多かったとのこと。
どちらかというと頭脳派の多かったユダヤ人とは衝突が多かったらしく、
その他ももちろん移民間での揉め事がよくあったとのこと。

イアンさんは「「リッパー・ストリート」では移民間の軋轢について描かれたエピソードは
なかったけど、まあ、フィクションだからね」とおっしゃっていましたが、
シーズン2第6話なんかでは多少そんな感じもあったような。

そのまま北上すると、ホワイツ・ロウに行きつきますが、
ホワイツ・ロウとテンター・ストリートの境目あたりに、
昔はアーチのようなものがかかっていたと下記の写真を見せてくれました。



ホワイツ・ロウの西の端まで行くと、クリスピン・ストリート(Crispin Street)に出ます。
そこを一瞬北に行くと、西側にアーティレリー・レーン(Artillery Lane)が伸びています。

クリスピン・ストリートと、アーティレリー・レーンの角に、
かつてプロビデンス・ロウ夜間避難所(Providence Row Night Refuge)という
無料宿泊所だった建物があり、女性用の入り口の名残が残っています。
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この無料宿泊所は、メアリー・ジェーン・ケリーも利用したことが有るとのこと。

アーティレリー・レーンの奥側にはOttolenghi Spitalfieldsという
地中海料理のレストランが有り、建物自体は古いもので(おそらく元パブ)、
撮影にもよく使われ、ITVドラマの「ホワイトチャペル(Whitechapel)」でも
使われたとのことです。シーズン2まで見たのですが、全く覚えていない…。

クリスピン・ストリートに戻り、南下すると、
ホワイツ・ロウが伸びるところから、通りに名前がベル・レーン(Bell Lane)に変わります。
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このベル・レーンは、19世紀末にはイーストエンドの中でも
特に超人口過密貧困地区のひとつだったとのこと。

ベル・レーンをさらにずっと南下すると、
今度はゴールストン・ストリート(Goulston Street)に名前を変えます。

この通りの東側にある、"Happy Days"というフィッシュ・アンド・チップス屋さんのあたりが、
1888年に"The Juwes are the men..."というようなチョークによってなされた落書き、
いわゆる、ゴールストン・ストリートの落書き(Goulston Street graffito)がなされた場所、とのこと。
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このチョークの落書きは、諸々の理由から、内容のメモさえされることもなく
当時の警察によって消されてしまい、誰がなんのために書いたものなのかはもちろん
その内容についてもはっきりしたことはわかっていないとのこと。

JuwesがJewsの誤記で、そレに続く文章は、ユダヤ人を非難する、または擁護するものという、
大きくかけ離れた複数の証言がなされているらしく、切り裂きジャック事件との関係の有無を含め、
今も意見が別れていることのひとつだとか。

イアンさんは、「リッパー・ストリート」に出てくる刑事は、リードはもちろん、ドレイクも頭が良いけど、
記録も取らずに証拠を消してしまったり、根拠が薄いのにユダヤ人を中心に色々と逮捕したり、
実際の当時の警察はかなり無能だったようだと…。

その後、一本コマーシャル・ストリート側の道、
オールド・キャッスル・ストリート(Old Castle Street)へ移動。
この通りには、"WASH HOUSES"と書かれた建物があります。
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現在はロンドン・メトロポリタン大学の図書館になっていますが、
19世紀末には、建物に名残がある通り、公衆浴場・洗濯所だったとのこと。

かつて、この通りはキャッスル・アレー(Castle Alley)という名で、
1889年にアリス・マッケンジー(Alice Mckenzie)の遺体が発見された場所でもあります。

このあたりで、銀貨を見せて女性をおびき出そうとしていた男が目撃されていて、
もしこれが切り裂きジャックだとすると、お金持ちなのかな?と言われていたけども、
実はそれは暗い中では銀貨に見えるような安物だったとかなんとかで、
やっぱり労働階級なのでは?そもそもアリス・マッケンジーを殺害したのは、
切り裂きジャックではないのでは?などなどと色々な憶測がなされているとか
おっしゃっていたような気がしますが、うろ覚えというか不確か…。

オールド・キャッスル・ストリートを南下して、このあたりで一番大きなメインストリート、
ホワイトチャペル・ハイ・ストリート(Whitechapel High Street)へ出て、
さらに南下して、リーマン・ストリートを南に進みます。

ここはそれこそ何度も来ていますので、警察署やブラウン・ベアや
イースタン診療所跡はまあ良いとして、イースタン診療所跡の脇を通る
アリー・ストリート(Alie Street)にドイツ系移民のための教会
(St. George's German Lutheran Church)や学校が有った、と、案内してくださいました。
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ついでに、ブラウン・ベアの先にある高架(現在はDLRが走っている)が見えるところまで行き、
シーズン3で鉄道事故が起こったのがあそこだよね、という話になりました。
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ちなみにこの事故は史実ではありませんが、ブラウン・ベアの裏手に鉄道駅が有ったのは本当です。

と、言うわけで、リーマン・ストリートを引き返し、ホワイトチャペル・ハイ・ストリートにある
オルドゲイト・イースト(Aldgate East)駅から地下鉄に乗り込み、
更に東のステップニー・グリーン(Stepney Green)にて下車。

駅から出て、ホワイトチャペル・ハイ・ストリートから
マイル・エンド・ロード(Mile End Road)に名前を変えた道を少し西側に戻り、
ステップニー・グリーン(Stepney Green)という場所に連れてきてくださいました。

実は、実在のリードさんのお住まいがこのあたりだったっぽいので、
行ってみたいと、希望を伝えてあったのでした。

このあたりじゃないかな~とのこと。
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近くに、昔Daren Breadという名前のパン屋さんだった建物がありました。
※写真提供:同行者(水無月のえる)
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イアンさん、「もしかしたら、リードさんはここでパンを買っていたかもね!」と(笑)

このあたりも古い建物が多く残っていて、撮影に使われるらしく、ITVドラマ「ウィッチャーの事件簿」の
ウィッチャーの家という設定の建物もこのあたりだとのこと
(本物のウィッチャーさんは、たしかもっと中心部に家があったような)。
本は読んだんですが、ドラマは一話だけざっと見たくらいで、あまり覚えていない…。
にしても、もしリッパーがロンドンで(以下略)

マイル・エンド・ロードに戻ってきました。
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貧困地区と言われていたイーストエンドですが、このあたり、
特に大通りに面しているところは良い家が多く、
ロイヤル・ロンドン・ホスピタルのお医者さんとか、そういう人が結構住んでいたとのこと。

と、いうわけで、再びステップニー・グリーンから地下鉄に乗り、
今度はボウ・ロード(Bow Road)にて下車。

マイル・エンド・ロードから、今度はボウ・ロードに名前を変えた道を東に行くと、
左手(北側)にボウ・ロード警察署(Bow Road Police Station)がありました。
K署の本部でしょうかね?前におまわりさんがたくさんいたので、写真を撮りそびれた。。。

もう少し東に行くと、やはり左手になにやら書いてある壁が。
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ブライアント&メイマッチ工場が作った水飲み噴水が近くにあったよという内容らしい。
1971年に女工たちも参加してマッチ税導入反対の行進をし、その法案が否決された記念らしい。

イアンさんは、税金の支払いが浮いた分、その運動に協力した女工たちに還元すべきだったのに、
それをせずに、こういったことをするなんて、偽善だ、全くムカつく、とおっしゃっていました。

もう少し先に進むと、左手にフェアフィールド・ロード(Fairfield Road)という
道が見えてくるので、そこを曲がります。

その道をまた真っ直ぐ進むと、右手に
ブライアント&メイマッチ工場(Bryant & May Match Factory)の跡地があります。
※写真提供:同行者(水無月のえる)
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「リッパー・ストリート」シーズン2第3話でも言及されていたところで、
1888年に劣悪だった労働環境の改善を求め、ここの女工たちがストライキをしたことで有名。

今回、ウォーキングツアーを頼もうと思ったきっかけはここだったりします。
一人だとなかなか来られないかな…と思ったので…。

今は高所得者向けの住宅になっているらしく、自分なら住みたくないなぁ、とイアンさん。
なお、オリンピックのときにここから東に行ったところにあるメインスタジアムに向かう
不審な飛行物があったら撃ち落とすための台(写真右上の方のやつ)が設置されたとかなんとか。

ということでボウ・ロードに戻り、もう少し進んだところにこんな銅像があります。
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これは、1800年代後半にイギリスの首相を務めた
ウィリアム・グラッドストン(William Gladstone)の銅像で、
先程の水飲み噴水と同じく、マッチ税導入回避を感謝して、
ブライアント&メイマッチ工場の経営者が立てたものとのこと。

この銅像、右手が赤く塗られていて、元々は、この銅像を作るための資金が
女工の賃金からピンはねされているんじゃないかという噂もあったりで、
誰かが塗ったものだったそう。
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2012年のロンドンオリンピックにあわせ、この像はきれいにされたそうなのですが、
設置された翌日にはもう手が赤くなっていたそうです。

イアンさんは、もう1ヶ所連れて行ってくださいました。
銅像のある辺りから伸びる道、ブロムリー・ハイ・ストリート(Bromley High Street)を進み、
その途中、エドガー・ロード(Edger Road)に入ってブルース・ロード(Bruce Road)を引き返し、
パウィス・ロード(Powis Road)にその目的地はありました。

この道中、イアンさんに
「〇〇(聞き取れなかった)、Indian Great Leaderなんだけど、知ってる?」と言われ、
一瞬アメリカ先住民のリーダーかと思って、超有名な人なら知ってるはずだけど、知らない名前だなぁ、と
「知らない」と答えてからインドの、ガンジーか!と気づいて慌てて
「もちろん知ってます!」と言いました。
日本人はガンジーも知らないのか、と一瞬思われたかも…日本人の皆様すみません。。。

というわけで、連れてきてくださったのは、
キングズレー・ホール・コミュニティ・センターと言うところで、
ガンジーがイギリスに来た時、国?は高級ホテルを用意していたそうなのですが、
彼はここに来て、貧しい人と共にいます、ということでここに泊まったのだとか。
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キングズレーとガンジーということで、ベン・キングズレーさんを思い出したけど全然関係ない。

その後、裏手の公園的なところを通り、セント・レオナーズ・ストリート(St Leonard's Street)を
まーっすぐ進み、解散場所に指定させてもらった駅、ブロムリー・バイ・ボウ(Bromley-By-Bow)
まで送っていただきました。

ここに来るまでに、「この辺も「シャーロック(Sherlock)」で使いたかったっぽいけど、
A12が超幹線道路だから無理だったんだよ」、とか、
「日本では「リッパー・ストリート」の他には何が人気なの?」とか(いやリッパーは人気じゃない)、
「やっぱシャーロックとダウントンですかね」、と言ったら、
「「コール・ザ・ミッドワイフ」は」?と言われ、
「メジャーな放送局(NHK)で放送したから、人気あるのでは」、と適当に言っておきました…。

駅につき、この日の代金をお支払いし、写真を撮らせていただいて、
イアンさんとお別れしました。

約2時間、色々回っていただき、お話を聞かせていただいてとても楽しかったです!
このあたりに詳しい方には今更ネタばかりなのでしょうが、
基本がすっぽり抜けている私、ここからまたいろいろ知りたくなりました。

ちなみに、イアンさんはイーストロンドン出身の方なので、アクセントも少しそういう感じでしたが、
こちらが英語ができないのをご承知だったため、ゆっくり、丁寧に、
また、言葉を選んで説明してくださっていたので聞き取りやすかったです。

同行者もとても楽しんでくれたようで、良かったです。

また機会があったら、イアンさんにどこかご案内してほしいなぁ、と思っています。

改めて、イアン・ポーターさんのツアーのサイト
London Town Works

なお、今回のルートをグーグルマップのマイマップでざっと作ったので、
もしご興味有る方はそっと耳打ちしてくださればURLお伝えします…。

と、言うことで(?)同行者が、この日に帰国予定なので、ひとまず宿に戻りました。

Day7 その3に続く!
[ 2019/05/02 22:48 ] 旅行記 | Comments(0) | Trackbacks(0)

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