マシュー・マクファディンを中心に : I Love, I Love, I Love You

イギリス人俳優マシュー・マクファディン(Matthew Macfadyen)周辺などに関する備忘録。
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RADA(王立演劇学校)100周年記念本"OFF STAGE"

と、いうわけで?RADAに関する講座に参加したこの機会に
以前から何度かこちらでも言及している
RADA100周年記念本"OFF STAGE"の内容をちょっと…。

Off Stage: 100 Portaits Celebrating the Rada CentenaryOff Stage: 100 Portaits Celebrating the Rada Centenary
(2006/08/03)
Miranda Sawyer

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RADA100周年から2年後の2006年に発行された本で、
RADAの卒業生のうち100人のポートレイトと、
一部を除いてRADAの受験時、そして入ってからのエピソードが掲載されています。
(掲載者一覧をこの記事の最後に記載してみました)

そのうちのマシューとマンガンさんのエピソードを。
…相変わらず私の大嘘訳ですが…。

マシュー・マクファディン(1992-95)
offstagematthew.jpg

「最初のオーディションは恐ろしかった。
僕はオールビーの「動物園物語」と「ヘンリー五世」の一部を朗読した。
その後、選考員の一人が17歳だった僕に、
とにかく若すぎる、オーディションを受けるべきではなかった、と言ったんだ。
僕は打ちひしがれた。
その後、約一週間後に僕は2次試験に呼ばれたんだ。

当時校長だったオリヴァー・ネヴィルが学校にいる僕に電話をかけてきた。
僕はその時試験を受けていて、彼が10分もかけてとても細かく
僕のAレベルについて訊いてきたことを覚えている。
結局彼は僕に9月頭からの入学を許可すると伝えてきた。信じられなかった。
彼は僕が申し出を受けるかどうか、その時とても優しく訊いてきた。
僕はただ笑いながらひどく興奮してしゃべっていた。そのくらいホッとして、興奮していたんだ。

僕の何が良かったのかはわからない。でも、僕は他のどこにも行きたくなかったんだ。
僕は気分が激しく浮き沈みしたのを覚えてる。だけどいつも忙しいと感じていて没頭していたよ。
ラバンなんかのいくつかの科目はとても不可解だった。
最初の学期の初めごろ、発声の授業で「ヴァギナで青い呼吸をして」と言われたのを覚えてるよ。」

最後の一文が訳ワカメ過ぎて…"breathe the colour blue"って何か熟語?でしょうか…。
あと"vagina"はいくら調べてもそのままの意味しか出てこなくて…マシューにはない…ですよね…。
多分マシュー少年も「意味わかんね―!」って思ってたと…。

にしても、校長から合格を告げられた時のマシュー…
バーターさんは「大体皆泣く」って言ってたけど、笑ってたなんて…マシューらしい(笑)
感情が昂ぶると笑っちゃうタイプなんだろうな。
どんなに訓練を積んでも、笑い上戸だけは直せなかったんだね、とか(笑)
そして興奮して喚き散らしてるさまも何となく目に浮かぶようです(笑)

スティーブン・マンガン(1991-1994)
offstagestephen.jpg

「子供の頃、僕は俳優をだれも知らなかったし、自分がなるだなんて思っていなかった。
宇宙飛行士みたいに誰か他の人がなるもので、僕みたいな人間に起こることじゃないと思ってた。

僕はオーディションについてほとんど覚えていない。
3回あって、最後の一つは一日中かかったってことくらいしかね。
1990年の10月の終わりごろから僕の母が病気になり、僕は冬の間ずっと彼女の看病をしていた。
最終選考の8日か9日前に彼女は亡くなったので、僕は通夜と葬儀に行ってきたところだった。
僕は家の外に出て何かをできるのが嬉しかった。
でも、今までしてきたことに比べると、全てが些細なものに見えた。

僕が何か月もその準備に費やしたスピーチと全く同じものを
ジョナサン・スリンガーも用意してきたのを覚えてる。
僕らのうち一人しか最終日の最終選考にそのスピーチをすることができなかったので、
僕は彼にそれをやれよと言ったんだ。

僕が手紙を受け取った時、僕は何かを楽しみにすることができることにものすごくホッとした。
物事が僕を立ち止まらせるために横たわっているように見えた。
僕はケンブリッジに行って、法学位を取得したけど弁護士になれる見込みがなかったし、
この年は病院を行ったり来たりだった。
今から新しい人生を始めることができると思ったことを覚えてるよ。

同期にはアンドリュー・リンカーン、ショーン・パークス、サーシャ・ヘイルズ、
ジョナサン・スリンガーがいて、みんなと良い友達なんだ。特に男連中はとても親密だった。

僕はシフォンスカーフを身にまとって扮装し、妖精になるのがすごく下手だった。
僕らは精根尽き果てすごく長い間洞穴で暮らしたみたいだった。

動物のまねもたくさんした。イグアナやモグラなんかになったよ。
僕はガッカリした。なぜなら僕はどこかでマーロン・ブランドが演劇学校にいるとき、
動物を演じるのがとてもうまかったと読んだからだ。
これは僕が役立たずになる予兆だと思った。僕はフンコロガシすらまともに演じられなかったから。

実は、いくつかの理由から僕はエリザベス朝のダンスがものすごく得意だった。
僕はとてもそれを楽しんでいたし、詩も好きだったんだ。
僕はいつもRADAに感謝している。僕らはそこで沢山のことをした。
それに僕はRADAに入る前は殆ど読書をしなかったんだ。

僕はすごく頑張ってたけど、確かにロンドンを楽しみもした。
同期のうち、学校から直接RADAに来た人たちと、
それ以前何かをしていた人たちの間には大きな違いがあった。
もし18歳で、実家から初めて出てきたなら、全くそうは思わなかっただろう。
でも、僕には全部の授業に出席しないといけなくて、それが9時から始まるのが大変に思えた。
もっとも、多分彼らのやり方が正しかったんだろうけど。」

マンガンさん…すごく大変だったんだな、と…。
実はお父様も若い頃(お母様よりは後だと思います)に亡くされているようで…
その病気のことに関して、マンガンさん自身とてもいろいろ考えておられるようで…
その関連の記事も…なんとも…。

あの明るい笑顔はそういう経験があってからこそ、なのかもしれません。

他にも、講演会で言及のあったマキシン・ピークさんとか、
マシューの同期のヨアン・グリフィズさんのエピソードや他の方々も、と思ったのですが…。
英語力がなさすぎで収集つかなくなりそうなのでやめときます…。

ちなみにマシューとヨアンさんの同期、インディラ・ヴァルマさんによれば、
1992年入学組には30代が3人、あとは大体25,6歳だったとのこと。
インディラさんもマシューと同じく、入学最低年齢より下の17歳で入ったみたいで、
この年は随分年齢の幅が広かったのでしょうかね。
クラスはヨアンさんと一緒でマシューと違ったのか
ヨアンさんに言及はあれどマシューの名前はなくてちょっと寂しい…。

そういえばバーターさんにこの本の100人の選考基準お聞きしたかったんでした…(笑)
裏表紙には「RADAの卒業生の中でももっとも有名な100人」って書いてあったけど…。
みんな素晴らしい活躍をしている方々だというのはわかるけど、
一般的に「もっとも有名な100人」かと言われるとどうでしょう…。

私は勝手に卒業生のうち、存命で、俳優として活躍しているうち、
特にRADAをサポートしている(建て替えの際にお金を出した、とか)卒業生と、
撮影に参加できた(できない人は過去に撮った写真があった)人かな??とか思ってます…(笑)

マシューは今もずっと"Founding Screen Supporter"としてRADAにお金出してるし…。
やっぱりこの本に載ってるケネス・ブラナー、レイフ・ファインズ、
ジョナサン・プライス、アラン・リックマンなんかも…
まあ、この人たちはそうじゃなくても十分すぎるくらいホントに世界的に有名人ですが…。

最後に掲載されている100人の名前だけ掲載しておきます。
称号は出版当時のもの、名前のあとの数字は在籍した年、順番は掲載順です。
※のついている人は写真とフォトグラファーのコメントのみ。

Alan Rickman, 1972-74
Adrian Lester, 1986-89
Aidan McArdle, 1993-96
Alex Kingston, 1983-85
Michael Blakemore, O.B.E., 1950-52 ※
Frederick Treves, 1947-48 ※
Edward Woodward, O.B.E, 1946-47
Iain Glen, 1983-85
Andrew Lincoln, 1991-94
Bryan Forbes, C.B.E., 1942-44
Nanette Newman, 1951-52
Fiona Shaw, C.B.E., 1980-82
Firth Banbury, 1931-33
Terry Hands, 1962-64
Sheila Allen, 1949-51 ※
Josie D'Arby, 1992-95 ※
Ian Carmichael, O.B.E., 1938-39
Imogen Stubbs, 1983-85
Indira Varma, 1992-95
John Alderton, 1959-61
John Hurt, C.B.E., 1960-62
Jane Horrocks, 1983-85
Matthew Rhys, 1993-96
Sian Phillips, C.B.E., 1956-57
Joan Collins, 1949-51
Jonathan Pryce, 1969-71
Paul Rhys, 1983-85
Juliet Stevenson, C.B.E., 1975-77
June Whitfield, C.B.E., 1942-44
Julian Glover, 1953-54
Kenneth Branagh, 1979-81
Lloyd Owen, 1985-87
Maxine Peake, 1995-98
Barbara Jefford, O.B.E., 1947-49
David Warner, 1960-61
Lolita Chakrabarti, 1987-90
Mark Rylance, 1978-80
Matthew MacFadyen, 1992-95
Sheila Sim, 1940-42
Lord Attenborough, 1941-42
Isla Blair, 1961-63
Sibu Mamba, 1999-02
Margaret Tyzack, O.B.E., 1949-51
Steve McFadden, 1985-87
Michael Kitchen, 1967-69
Mike Leigh, O.B.E., 1960-62
Michael Seen, 1988-91
Philip Voss, 1956-58
Peter Bowles, 1954-56
Paul McGann, 1979-81
Richard Wilson, O.B.E., 1963-65
Polly James, 1962-64
Henry Goodman, 1969-71
Stephen Greif, 1965-67
Robert Lindsay, 1968-70
Richard Breiers, C.B.E., 1954-56
Ronald Pickup, 1962-64
Brian Murphy, 1954-55
Rosemary Harris, 1951-52
Sir Ian Holm, 1949-53
Fenella Woolgar, 1996-99
Sheila Hancock, 1950-52
Stephen Mangan, 1991-94
Rosemary Leach, 1953-55
Sarah Miles, 1958-60
Sir Roger Moore, 1944
Sylvia Syms, 1951-53
Bo Poraj, 1992-95 ※
Anton Lesser, 1975-77 ※
Imelda Stauton, 1974-76
Leigh Lawson, 1967-69
Peter Barkworth, 1946-48 ※
Jonathan Wrather, 1989-92 ※
Timothy Spall, O.B.E., 1976-78
Sir Tom Courtenay, 1958-60
Trevor Eve, 1971-73
Amanda Drew, 1989-92 ※
Tanya Moodie, 1990-93 ※
Tom Wilkinson, 1971-73
Warren Mitchell, 1948-49
Susannah York, 1956-58
Ben Whishaw, 2000-2003
Thelma Holt, 1951-52
Sir Anthony Hopkins, 1961-63
Janet McTeer, 1981-83
Michael Simkins, 1976-78 ※
Jonathan Hyde, 1970-72 ※
Liza Tarbuck, 1984-86
Trevor Baxter, 1949-51 ※
Glenda Jackson, C.B.E., 1955-56
James Dreyfus, 1987-90
Guy Henry, 1979-81
Stephen Beresford, 1991-94 ※
Richard Johnson, 1943-44 ※
Ralph Fiennes, 1983-85
Ioan Gruffud, 1992-95
Douglas Hodge, 1979-81
Marianne Jean-Baptiste, 1987-90
David Morrissey, 1983-85
Caroline Blakiston, 1955-57 ※

SPT×ITIレクチャー「イギリス演劇と王立演劇学校(RADA)」

ツイッターでやり取りさせて頂いている方に教えて頂き、
2014年4月24日に三軒茶屋の「世田谷パブリックシアター」の企画で行われた
SPT×ITIレクチャー「イギリス演劇と王立演劇学校(RADA)」に行ってきました!
国際演劇協会日本センター(ITI)世田谷パブリックシアター(SPT)の共同企画だそうです。

この回の講師は1993年から2007年までの間
マシュー・マクファディンの出身演劇学校でもある
RADA(Royal Academy of Dramatic Art)の校長を務められていたニコラス・バーターさん。
(ちなみにバーターさんの退任後、"principal"の役職が"director"に置き換えられたようです)

マシュー(やルーファス)のファンになるまでイギリスのドラマ、映画、演劇、俳優に
あまり(というかほぼ全くと言っていいほど)興味がなかったので
当然?イギリスの演劇学校やRADAのことを殆ど知らなかったんですが、
ファンになってみると、色々なところでこの名を目にして、どういうところ?と調べてみて、
どうもかなりエリート演劇学校らしい、ということを知り、
なぜRADAが特別視される傾向にある(そうでもない?)のか、
実際どのような教育がなされていて、他の演劇学校とどう違う、
またはどこに共通点があるのか?というようなことに興味があったので…。

2013may20rada01.jpg
RADAガウアー通り側入り口。

もちろんバーターさんがマシューのRADA2年目から校長で、
その前5年ほどは教頭だったらしいということで、
マシューがいたころのRADAがどういう感じだったかわかるかな?というのもあり…。

この企画のお話を伺った時、「聞いてみたいけど、多分演劇関係者ばっかりだろうし…」
と、思って躊躇したのですが、フォロワーさんに「大丈夫ですよ」と言っていただいて参加することに。
ふたを開けてみるとやっぱりフォロワーさんとお友達含め、
演劇関係のお仕事をされている、またはそこを目指されている方
ばっかりだったっぽくて自分一人(?)浮いてましたが…(汗)

それと「イギリスの演劇教育のあり方、特に日本のそれとの違いに焦点を当てて」とのことだったので、
日本のことはそれはもうイギリス以上に何もわからないのでどうかな、と思っていましたが、
思ったよりRADAの話ばかりだったのでそこはホッとしました…(汗)

内容としては、RADAの公式サイトなどに書いてあることも多かったのですが、
実際にそれに携わってきた方のお話を聞けたというのはやはり大変貴重な体験だったと思います。
ちなみに文章をまとめるのが下手くそでほぼすべて伝聞形で読みづらくてすみません…。
いつものことですが…(汗)

まず、ITIの方のご挨拶が少し入り、その後バーターさんが紹介され、壇上に。
通訳はバーターさんともよくお仕事をされていて、RADAに留学経験もある演出家の三輪えり花さんでした。

はじめに、ご自身のことを少し話されていました。
ご自身は役者として、またステージマネージャーとしての経験がなかったそうですが、
それでも演出家になることができたのは、
1950年代以降にイギリスのある種の伝統が打ち破られたからだとか。

イギリスではかつて経験を積んだ俳優やステージマネージャーが演出をするものだったそうですが、
1950年代にピーター・ブルックが出てきたあたりから状況が変わったとか。
彼は大学を出たてで若かったんだそうです。その他、ピーター・ホールなども出てきて、
これが第一の波とされているらしいです。

その波がきっかけの一つとなってNTができ、初代の芸術監督はローレンス・オリヴィエだったけれど、
2代目のピーター・ホール3代目のリチャード・エア、4代目のトレヴァー・ナン、
5代目で現職のニコラス・ハイトナーまで4人とも(バーターさんと同じく)ケンブリッジ出身だと。

次期芸術監督はRADA出身者だと予言します…っておっしゃってましたが、
もう随分前に発表になってますって…(笑)
(次期NT芸術監督はRADA俳優コース卒の演出家、ルーファス・ノリスさん)

次に、イギリスの演劇史について少し。

イギリスの演劇は、教会から始まったそうです。
文字が読めない人が多かったので、演じてみせることで信者を増やしたり、
教義を説明したり、説教したり、という感じだったよう。

ヘンリー8世くらいの時代にその中のコミックな部分が宮廷内で演じられるようになり、
その後、シェイクスピア、マーロウ、ジョンソンなどが出てきて発展するも、
クロムウェルの時代にすたれ、その後、王政復古でフランスに亡命していたチャールズ2世が
帰国した際、フランス宮廷の文化(今までのイギリス演劇とは違うもの)を持ち込んだんだとか。

その経験から、過去の影響を受けずに新しく演劇を作ることができる風土ができ、
各世代ごとの演劇、例えば、その世代のシェイクスピア劇を作ることができるのだそうです。

これがRADAの誕生や理念にもかかわってくるそうです。

イギリスで一番古い演劇学校でローリー・キニアさんの出身演劇学校(キニアさんは2年コース)でもある
1861年創立のLAMDA (London Academy of Music and Dramatic Art)

そしてRADAより少し遅れてできたルーファス・シーウェルの出身演劇学校でもある
1906年創立のセントラル(Royal Central School of Speech and Drama)

実際のところや詳しい歴史については調べていないのでわからないのですがバーターさん曰く、
「LAMDAは演劇(Drama)より音楽(Music)が、セントラルは演劇よりスピーチ(Speech)が
名前の最初に来ていることからわかるように演劇のために作られた学校ではなかった」
とのこと。

そしてRADAはといえば、
1904年にハーバート・ビアボム・ツリーという演出家の
「自分がやりたい芝居ができる俳優を作りたい」という思いから作られたそうです。
彼は、シェイクスピアなどの古典だけでなく、彼と同世代の劇作家である
ジョージ・バーナード・ショーの作品も演じることができる俳優でもあったそうで、
つまり、彼のように古典から現代の作品まで、幅広く演じることができる俳優を育てることが
目的で作られたということです。

RADAが他と違っていたところは、はじめて俳優によって作られ、
また「今」の演劇界に必要な俳優を育てる、という理念を持っていた、
そして現在でも持っているところのようです。

各演劇学校の歴史を見ていくと、LAMDAにしろセントラルにしろ
たびたび「新しいこと」をやりたいと強く思った先生や生徒が体制側に反旗を翻し、
新しい学校やシアターカンパニーを創ったりというようなことがあったそうですが、
RADAはいくらでも新しいものことをやっていい、というスタンスなのだそうです。
(なので、運営側は相当大変だ、ともおっしゃっていました…)
が、新しいこと、ということはしっかりした基盤がないこと、とも言えるので
新しいものをやっても良いが、過去を理解することが大事だとも。

また、RADAでは俳優を"ideal"理想的な演劇をできるように育てているが、
それだけではなく、現代演劇や、前衛的なもの、
そして、舞台だけでなく、(生活のために必要な仕事として)
ソープオペラ(昼ドラとか)や声優、ラジオドラマなども
こなさなくてはいけないことがあるので、それらもできるように指導している、とのことです。

舞台に関していえば、少し前までは上演までの間に半年程俳優と契約期間を結んで
じっくりお互いを知ったうえで舞台づくりをすることができたそうですが、
今はそんなに長い契約でできないので、俳優の側としては、
とにかく来た仕事に対して的確に、即興的に応えられなくてはいけないそうで、
演劇関係のことは演技以外も一通り何でもできるように教えているそうです。

それから、ビジネススキルも教えていて、この「これをすれば仕事がもらえる」というのが
生徒たちのモチベーションになっているんだとか。

このあたりを伺っていて、「とにかく仕事をもらえるように」という、
かなり「現実的」な教育をしているんだな、というところがすごく印象的でした。

と、この「これをすれば仕事がもらえる」ってのをやってるのに
自分が思うような仕事をもらえなかったから某トムさんはああいうことを言ってたのかな、とも…。
その「やりたい仕事=理想的な舞台」のためにわざわざRADAに入ったとどこかで読んだので…。

そんな?RADAですが、入学するための道のりは長く、
毎年翌年9月の入学のために11月からオーディションを行うそうです。

RADA公式サイトによれば、RADAの俳優コースの入学要項は以下の3つだけ。

・英語が完璧であること(母語レベルという意味だと思います)
・入学時に18歳以上であること
・専門的なトレーニングを行うのに必要な知的・創造的・実際的な能力を有すること。

…マシュー他18歳未満で入学した卒業生がいたりするわけですが、
明記されているってことはもうそういう子はいないんでしょうかね。

俳優コースには大体3000人の応募があり、入学が許されるのは男女15人ずつの合計30人。

他と違い、RADAでは選考員を現役のプロの演出家や俳優に頼んでいるそうです。

イギリスでは俳優の教育は体系的になされていますが、
演出家は育てておらず、(1950年代からの波の影響で??)演出家は若くていい、という風潮があり、
つまり演出家は俳優たちには何が必要か、を常に考えているとのこと。
新しい作品を演じられる俳優が欲しい、となり、
ではそれはどんな俳優か?ということを常々感じている演出家や、
そんな演出家と一緒に舞台を作っている俳優たち、
演劇界の「今」をよく知り、「今の演劇界のどのような俳優が必要なのか」を
知っている人たちが選んでいる、ということだそうです。

オーディションは4段階だそうです。
おそらくバーターさんのいらっしゃった頃の話だと思うので、
今はもしかしてかわっている部分もあるかもしれません。

まず、第一段階ではシェイクスピアやその時代の作品のセリフを一つと現代の作品のものを読むそうです。
その後、短い面接を行い、今までの演技経験、どのような芝居を見たか、
尊敬する俳優はだれか、などごく一般的なことを聞くとか。

この第一段階は、受験者1名を選考員2名が見て、その2名のうちどちらか一人が
「良いかも」と思えば良く、たとえもう一人が反対であっても通るそうです。

この段階で3000人から300人ほどに人数を絞るそうですが、300人に漏れた中には
「まだ若いから、まだ何かが足りないからまた来年以降帰っておいで」ということもあるとか。
(何年も受け続ける人もいるそうです)

3000人の受験者に対して、必ず上記の第一次試験を行い、一切書類選考は行わないとか。
バーターさんは、何度も「書類選考は絶対にダメです」とおっしゃっていました。

第二段階は受験者1名を選考員4名が見るそうです。
今度は現役のプロに加え、RADAの講師、校長かその代理人が選考員となり、
スピーチ(第一段階と同じものでも良いし、
前回合わないと言われていたら別のものを用意することもあるとか)と
歌、それに加えて、長い面接を行うそうです。

この時点で300人程度から150人くらいに絞るそうです。

第三段階は150人程度を16人ずつのチームに分け、3人の選考員が見るそうです。
ワークショップのような感じになっていて、最初の1時間ほど発声の先生のレッスンを受け、
その後、別の先生が予習していないスピーチ(あまりメジャーでないもの)を用意し、
受験生がそれを読むそうです。
そして、最後の一時間はバーターさんが演技を創るレッスンをするそうです。

この時点で150人程度から90~100人程度になるそうです。

そして最終段階。
8人ずつにグループ分けし、ムーブメントや発声のレッスンをした後
1時間ほど場面づくりを行い、その後お昼を選考員、校長など含めた全員で一緒に食べるそうです。

午後からは16人ずつにチーム分けし、即興の模擬レッスンをし、
その後メンバーを組み替えて演出家につけるそうです。
この際に誰と誰を同じグループで組ませるかにとても気を付けるとか。

それから、予習されていないスピーチを読み、1日の最後に皆の前でスピーチを披露するのだそうです。
この際に他の演者が必要であれば他の受験生がそのサポートをし、
全てが終わった後には意見の交換をするのだとか。

最後に学費をどう工面するかなどの話などもするそうです。

演劇学校は長い間高等教育ではなくて職業訓練校としての扱いだったため、
奨学金などが受けにくかったそうです。
(これはケネス・ブラナーの「私のはじまり―ケネス・ブラナー自伝」にも言及がありました)

で、ご存知の方も多いと思いますが、マシューの時代も「職業訓練校」扱いで、
卒業しても終了証書しかもらえなかったRADAですが、
(当時から指導者の資格は得られた、と、これもケネス自伝にありました)
最近の卒業生は学位(BA(Hons))を持っています。

つまり、「高等教育」の流れに入っているわけですが、
では、どのようにして学位をえられる学校=奨学金など公的な援助を受けられるようになったのか、
という話になるのですが、その前に、RADAの校舎の改修工事の話がありました。

1990年代に校舎の改修をしたいということになったらしいのですが、ものすごくお金がかかる。
そのお金をどうするか、となったのですが、1996年に公営のくじが始まり、
その第一回の配当金をどうにかもらえないか、となったそうで、
RADAの卒業生でもあり、RADAの理事である(そしてRADA大好き!だそうです・笑)
ロード・アッテンボロー(リチャード・アッテンボロー)が妙案を思いついたそうで。
彼はお金を集めるのがうまいんだそうですが…(笑)
RADAのほか、舞台芸術系でRoyalの名前がついたり(ロイヤル・バレエとか)、
存在がRoyalっぽいところ(笑)で一緒になって「ロイヤルな我々に助成金下さい」
と申請書を出し、見事に通ってくじの助成金を無事に受け取ることができ、
それを改修の資金にしたそうです。

改修工事は配当金を受け取った年であり、
マシューが卒業した翌年の1996年に始まったようです。
改修後の入り口がこちらという感じなのでしょうか。
2013may20radaentry.jpg

校内ツアーに参加されたフォロワーさん曰く、校舎内部には劇場が3つと
BBCが技術面で(資金面でも?)協力している録音スタジオなどもあるそうです。

外から見るととてもそんな立派な施設があるようには見えないのですが…
いつか潜入してみたいです…。

そして、話は高等教育へ、というところに戻りますが、改修の次の目標が高等教育に…
というものだったようで、色々な大学に学位がもらえないか掛け合ってみたそうですが
「RADAがすごいことやってるっていうのはわかってるけどね~…」という感じだったそうで。

中には論文を書くことなど、カリキュラムを変えることを
条件に出してきたところもあったようですが、そこは譲らず、
今やっているものに対して学位を、と探し続けた結果、灯台下暗し?
すぐ近くのロンドン大学のキングズカレッジがその条件で学位をくれることになったそうです。

2001年にRADA、そしてロンドン・コンテンポラリー・ダンス・スクールとで
40年ぶりの新設大学Conservatoire for Dance and Dramaを創設し、
後にLAMDA、ブリストル・オールド・ヴィク・シアター・スクール、
セントラル・スクール・オブ・バレエ、ナショナル・センター・フォー・サーカス・アーツ、
ノーザン・スクール・オブ・コンテンポラリー・ダンス、
ランバート・スクール・オブ・バレエ・アンド・コンテンポラリー・ダンス
が加わって今に至るそうです。
ちなみに、一緒に大学を作ったといっても、あくまで集合体であって、
それぞれはそれぞれが今までやってきたことをそのまま続けているとのことです。

バーターさんは合格を告げる電話をかけるのが一番好きだとおっしゃっていました。
合格の知らせを聞くとほとんどの人が泣く、とのこと。

(第一次の?)受験会場はロンドンだけでなく、レスター、マンチェスター、
リーズ、ベルファスト、NYなど複数の場所で行われるそうです。

各地でオーディションを行うのには理由があり、
受験生の多くは演劇関係者が家族にいる人だけれど、本当に探しているのはそうでない、
「新しい血」なのだそうで、そういう人は大体お金がないので、そういう人でも
オーディションを受けやすくするためだそうです。

その中で、ある卒業生の話をしてくれました。
その卒業生は、今は人気のある法廷ドラマの主役をしていて
舞台でも活躍する有名な女優だけれど、ワーキングクラス出身のラグビー選手
(本当はライフセーバーだったようです)だった女の子で、
オーディションも、友達が一緒に受けに行って、というから受けたと言っていたそうです。

そう、その卒業生とはマキシン・ピークさんのこと。
(バーターさんはMaxineとおっしゃってましたが、訳されてはいませんでした…)

彼女のような人こそ、RADAの求めている人材だ、と思われたんだそうです。
お話しされている様子から、マキシンさんはバーターさんの
かなりお気に入りの生徒だったのかな、と。

マシューとどれもかなりがっつり絡む役で4回共演したこともあって、
個人的にすごく気になっている女優さんなのでこのエピソードを伺えてとても嬉しかったです。

それと、選考の時に大事にすることに
RADAに向いているかそうではないか、ということもあるようで、
たとえば、トム・ヒドルストンさんはRADAに向いているので絶対に入学させたいと思ったそうです。

他の人に対しては、とても素晴らしい力を持っていても、
RADAよりもLAMDAの方が向いているかもしれない、と告げることもあったそうです。
具体的にLAMDAがどういう特色を持った学校なのかはおっしゃっていなかったので、
そのあたりどうなんだろうと気になっています。

トムさんのお話に関しては、その後にマンチェスター出身の貧しい青年が受験に来て、
彼が自分にとって何が必要なのかをパフォーマンスを披露しているときに気づいたのを
目の当たりにしたエピソードをお話しされていて、
演劇界や受験生それぞれに何が必要か、ということを重要視されている、
ということが本当にバーターさんがおっしゃりたいことだったと思います。

ちなみに、才能というのは人によって考え方が違うと思うが、
バーターさんにとっての「才能」とは自分がその世界を信じうることができる、
そういう自分の頭に影響を与えるような存在が「才能」だと思う、
というようなこともおっしゃっていました。

こうしてRADAで学ぶことが許された人たち。
バーターさんは初日にそんな新入生たちに対して
「RADAに入るのはとても大変だったと思うけど、これからの3年はもっと大変だよ」
と言っていたとのことです。

RADAに入るとそこでまず行われることは頭の中からなにから、心理、精神、クセを変えるのだそうで、
それはアレクサンダー・テクニークというものによるそうだそうです。

これは説明が長くなるというか自分では頭が悪すぎてよくわからないので
とりあえず「日本アレクサンダーテクニーク協会」さんのこちらを…

アレクサンダーテクニークとは
アレクサンダーとは誰?
アレクサンダー・テクニークって何?
アレクサンダー・テクニークの学び方

RADAの創立者であるツリーやバーナード・ショーなども
アレクサンダーのクライアントだったとか。

このアレクサンダー・テクニークは現在ではどこの演劇学校でも
レッスンがあるそうですが、大体は1回か2回くらいのみ経験するくらいだそうです。

一方RADAでは1年目の最初の学期には週に2回の個人レッスン、
2学期目にも週に一回の個人レッスンを行うなど、徹底的に身につけさせるそうです。

そのほか、オーストリア出身のドイツの舞踊家、ルドルフ・フォン・ラバンによって作られた
ラバン式と言われるムーブメントのレッスンも行われるそうです。

また、ステージファイティング(武器有と無し両方)などの授業があり、
RADAファイトプライズと呼ばれる大会があるそうです(笑)
賞金がかかっているので生徒たちはかなり本気らしいですが、
バーターさん曰く、優勝者は女性が多いそうです(笑)
(ちなみに1996年卒のマシュー・リスくんはかなりこれで稼いだと言ってました…笑)

そしてRADAと言えば、マシューをはじめ、声が魅力的な卒業生が多い(イメージ)ですが、
声の授業は徹底的に行うそうです。

1人に1人、ヴォイスティーチャーが付き、3年間通してマンツーマンのレッスンが行われるとか。

発声の授業では呼吸や筋肉に関することを、
スピーチの授業では、口の中で言葉を発するとき、舌などはどういう動きをするか、
などを理解させるのだとか。

また、みんなの前で朗読や初見朗読、暗唱などの発表も行われるそうです。

ちなみに、「こういう声を創る」という風にするのではなく、
その人本来の声を大事にするというようなことを言っていました。

この間マシューファンの方と、
マシューのあの声は本当に素敵だけど、発声もとにかく良くて、
声と発声がすごく合ってるんですよね、というお話をさせて頂いたのですが、
今回RADAの「声」の授業の話を伺って、やっぱりそういうものなのかな、と
妙に納得してしまいました。

それと、ある時良い声かも、と思っても改まった声を出そうとした時や叫んだりする時に
妙に力んだ(喉を締め付けたり喉に負担がかかるような)声になる俳優さんも結構多いですが、
少なくともマシューはそれがない。
そしてRADAの卒業生は声自体があまり好みでなくても聴いていて心地の良い声の人が多い、
というのもそういう訓練の賜物かな、と。

9月に入学し、初めて帰省するのは12月末のクリスマス休暇になるとのことですが、
その休暇に入る時にバーターさんはいつも
「あまりに君たちが変わっていてご両親はびっくりするだろうが、
決して不遜な態度はとらないように」と言っていたそうです。

と、いうのも、イギリスは地域や階級ごとに喋る言葉が違い、
それがある種のアイデンティティにもなっているそうですが、
1学期目の徹底的な訓練で、たとえ地方やワーキングクラス出身の生徒であっても
言葉も身のこなしも”Posh”になっているので、それを鼻にかけるようなことは決してするな、ということだとか。

授業の話に戻りますが、歌の先生も付くとか。
このあたり、ケネス・ブラナーの自伝で(個人的に)面白いエピソードがあったよなあ、とか、
マシューは「自分は本当に歌が歌えなくて…」とインタビューで言ってたなぁ、とか考えていました(笑)
ちなみに歌が上手いマシューの同期、ヨアン・グリフィズは
歌の授業が好きだったとRADA100周年本に書いてありました(笑)

また、現在のRADAの演技法のベースになっているのが
ロシアのコンスタンチン・スタニスラフスキーの提唱した
スタニスラフスキー・システムというものだそうですが、
RADAではその歴史は浅く、1984年に校長に就任したバーターさんの前任、
オリヴァー・ネヴィル氏がその講師を連れてきたことに始まるそうです。

なので1984年以前の生徒とそれ以降の生徒では同じRADAで学んでいても
叩き込まれた演技理論は全く違う、ということになるのでしょうね。

ロシア生まれのスタニスラフスキー・システムはNYを経由してロンドンに入ってきたそうです。

このシステムを採用する演劇学校は現在では多く、また
アクターズ・スタジオも「独自の解釈」で発展させたメソッド演技法で有名ですね…と…。

この「独自の解釈」という言い方、非常に皮肉が込められていそうだな~
と、ちょっと「メソッド俳優とは何ぞや」と思って「メソッド演技法」について
調べてみた時の印象から思えてしまうのでした…(笑)
(ちなみに私はメソッド俳優さんは苦手なイメージ…)

いや、イギリスではメソッド演技法に限らず、
スタニスラフスキー・システム自体にも懐疑的な俳優や演技術の講師も多いそうで、
RADAにも快く思っていない先生が少なからずいる、とのことでした。

バーターさんは、スタニスラフスキー・システムを快く思おうが思うまいが、
大事なのはそれが「机上のもの」ではないということだ、とおしゃっていました。

先の学位をもらう、新設大学の認定をもらう話の中で、
生徒に論文を書かせられないのか、と言われた時に、

「生徒に論文は書かせないが、生徒が役作りのために作ったノート、リサーチのメモやスケッチ、
そういったものが研究の役にたつのでは。図書館でのリサーチや机上の論理で論文を書く
研究者や学生よりも、彼らはずっと深く、彼らの体を通して役を理解しようとしているのだから。」

と反論したともおっしゃっていました。

また、スタニスラフスキー・システムについては、
あくまで「セーフティーネット」だともおっしゃっていました。
このシステムを知らなくても良い役者になれるが、
知っていれば、役者が行き詰った時に気分をリフレッシュしてやり直すことができるのだとか。

RADAではそんな授業が朝の9時半から午後の6時半までみっちり詰まっているそうです。

そしてRADAのことを調べているとインタビューなどで
その後は仲間で集まって自主的に研究会のようなことをして夜遅くなるので、
遊んでいる時間もないと言っている人を多数見かけます…。
RADAの卒業生はとにかく大変だった、つらかった、と言っている人が多い気がします。
マシューも最初の1年はかなり落ち込むことが多かったとインタビューで言っていました。

2年生になると、台本が取り込まれるようになり、
生徒は研究テーマ(たとえばエリザベス朝演劇やジャコビアン朝演劇など…)
を選んで勉強していくそうです。マシューの研究テーマはなんだったのか気になりすぎます…。

1年生の時に学んだ「テクニック」が、2年目から「アクティング」になっていき、
3年目にはプロの演出家やデザイナーによるプロダクションを5つこなすそうです。
それを卒業後に仕事をくれるような演劇関係者やエージェンシーの人たちが見に来る、と。

そして、プロが選んでRADAに入った生徒たちは、プロの世界へ還元されるのだとか。

そうしてプロの世界に入っていくわけですが、RADAで学んだことはあくまでもテクニックであり、
それをどう生かすか、生かさないか、どんな役者になっていくかは、卒業生それぞれ。
彼ら次第、ということのようです。

RADAの創立者であるツリーにエレン・テリーという女優さんが手紙を書いたそうです。
「かつて、あなたは演技は人に教えられるものじゃない、と言っていたのでは?」
「でも、あなたがやっていることに心から賛成するわ」と。

そして、最後に、バーターさんはこうおっしゃっていました。
「私は一度も役者であったことはありません。私は俳優たちのことをとても尊敬しています。
なぜなら、彼らは社会に嫌われるような役も、たった一人で演じるのですから。
彼らはなんて勇敢なんでしょう!」

もちろんこの時に"Secret Life"のチャーリーを演じた
マシューのことを思い浮かべていたのは言うまでもありません。


この講座を聞いたり、別記事に書いたRADA100周年記念本を読んだりで再確認したのは、
あくまでRADAというのはやっぱり教育機関の一つにすぎない、ということ。
RADAに入ったから、それ以外に入った人よりも特別優秀だとか、
俳優としてのポテンシャルが高い、ということもなければ
RADA出身だから特別優れた俳優だとか、そんなことはない、ということです。

私の一番好きな俳優はマシュー・マクファディンで、彼の演技が本当に好きでたまりませんが、
マシューがはたしてものすごくうまい名優か、と言われれば、それはどうかな、と思いますし…
(でも好きなものは好きなのです…)

好き、から言ってもマシュー(RADA)、ルーファス・シーウェル(セントラル)、
ローリー・キニアさん(LAMDA)、ジョセフ・ミルソンさん(ローズ・ブラフォード)
それぞれ出身演劇学校バラバラですし…(笑)

…RADA出身でも役者として私としては
そこまで魅力を感じない役者さんもいらっしゃいますし…。

ただ、RADAの1年あたりの卒業生の少なさと、
実際にプロとして活躍している数を考えればRADAがプロの世界に人材を「還元」していることは
まぎれもない事実なんだろうな、とも思いました。

ちなみに講座に参加する前には講座終了後に
あわよくばRADA時代のマシューのお話を聞けないかな、なんて思っていたのですが…
皆さん、フォロワーさんも含めすんごくまじめなこと質問されていたので
とってもそんなことできませんでした…(笑)

RADAの歴史については、RADA公式サイトの年表が見やすいと思います。
レスターさんがかわいい…。
バーターさんのお写真も載っています~。(右下のヘルメット被っている紳士)